今日はかつて通っていた病院に行ってきました。

主治医がクリニックを開院したので

1年ぶりに足を運んだことになります。

 

従兄弟が大腸がんで入院し

明日手術というので叔母に頼まれ、

パジャマとバスタオルを買って持って行きました。

 

懐かしい建物に

お見舞い者用の入口から入るというのは

何とも不思議な感覚です。

 

友人が見舞いに来てくれた時

見送ったその場所に自分が入って行きます。

 

「そういえば、病室を聞いて無かった・・・」

 

見舞受付に

「すみません。病室がわからなくて・・・」

と、病室の階数と部屋番号の記載の無い申し込み用紙を渡すと

従兄弟の名前から階数を調べてくれて

「あとはこの階のナースステーションで確認してください」

と言われ、入館章を渡されました。

 

渡された入館章を首に下げ

また、不思議な感覚でエレベーターに乗りこみ

面会の階数ボタンを押しました。

 

このエレベーターも検査の度に乗り

手術の時も乗ったのと同じものです。

 

扉が開き、ナースステーションに向かおうとしたら

電話が一瞬鳴り、切れたと同時に

目の前に従姉妹の姿と声が飛び込んできました。

 

「よし子ちゃん、こっち!」

 

私より年上の彼女は

従兄弟の姉です。

 

従兄弟は私より2つ年上、

彼女は更に2つ上。

私より4つ上ということになります。

 

子供の頃は、よく祖父の家に集まり

一緒にご飯を食べたり、ふざけたり、

当時流行っていた歌謡曲を歌ったりしていました。

 

奄美出身の祖父は

人が集まると大人たちは宴会になり、

子供たちは子供達で集まって

遊んでいたのです。

 

家が近かったこともあり

お開きの後はすぐ家に帰ったのですが

その時、よく叔母が車で送ってくれました。

 

その叔母に頼まれごとをされたのだから

心から引き受けます。

「ありがとう。助かったわ。」

と叔母に言われて私も笑顔になりました。

従兄弟にも

「ありがとう」

と言われましたが、その顔を見て驚きました。

 

叔母の話では

「発見された時かなり進行して

大きなガンになってしまっていたから

抗がん剤と放射線治療を4月からしていたの。

それでもなかなか手術にならなくて・・・」

と聞いていた。

かなり、深刻な状態で相当長く抗がん治療をしていたから

さぞかし疲弊しているだろうと覚悟して行ったのです。

 

ところが

「髪も眉毛も髭までしっかり生えてるw」

しかも相変わらず

「太ってる・・・」

 

以前は4L位だったのが

今はL位だから

以前に比べたら痩せたのでしょうが

それでも抗がん剤や放射線治療をした後

と感じられるものはまるで無い。。。

 

「ガンが小さくなるまで待ってからの手術だから

時間がかかった」と聞いていたのですが

その術式が腹腔鏡下手術と聞いてやっとわかりました。

 

待っていたのはガンが小さくなることだけではなく

脂肪の厚さが小さくなることのようです。

それだけ従兄弟は、脂肪の壁が厚かった。

 

大腸がんが発見された時

急に食欲が無くなり

この時はかなり痩せたそうではあるのですが

その後、治療にあたり、仕事を辞めた途端

また太りだしたらしい・・・

しかも、円形脱毛症まで治ったというのだから

不思議で仕方がない。

 

「こういう人も稀にいるのだな。

しかも身内にいるとは・・・」

 

何とも複雑な思いにはなったのですが

明日は手術だし、

手術は朝の8時から夜8時まで

12時間かかるらしいので

早めに退散しました。

 

その後、叔母や従姉妹と夕食を供にして

別れたのですが

一緒に食事をしていると

やはり子供の頃の話になります。

 

様々な懐かしい想いに浸った一日でした。

そうそう、病院に行く前に金比羅さんにお詣りしたのは

言うまでもありません。

 

退院後にリンパマッサージをしてあげよう。

投稿者 よし子

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